カップいっぱいのグリーンティー

ジャニーズWESTと神山智洋くん、ときどき日常話のブログ

『LUNGS』大阪公演を観た話

なにから書けばいいんだろう。どこまで書けばこの感情を正しく記録できるんだろう。

LUNGS大阪公演を観に行った。念願叶った神山くんの単独主演舞台、待ちに待った担当の現場……そういうオタク的エモさが全部吹き飛ばされて身ぐるみ剝がされて、ただこの現実に生きている自分に向き合わなければならなくなってしまうようなとんでもない舞台だった。

Twitterでもばらばらと感想を書いたけど、その100倍以上の文字量で感情的に書き殴ったメモがあるので、頑張ってここにまとめることにした。劇場に行った/行けなかったに関わらず、LUNGSを大切に思ってる誰かに読んでもらえたら嬉しいな。レポ要素と自分語りがごちゃ混ぜになっちゃったけど、それがこの舞台の魅力でもあるので恥を忍んで公開します。

これは現実すぎる演劇だ

LUNGSのすべては直径6~7mくらい(?)の円形ステージの中で展開される。背景も小道具も衣装替えもないシンプルな2人芝居。神山くんが演じる“M”、奥村さんが演じる“W”、ふたりの声と動きと息遣いと視線ですべてが表現される。100分間出ずっぱり、ゴリッゴリのストレートプレイ。誤魔化しのきかないド直球の演劇作品。

公式サイトには「若いカップルが子供を持つべきかという問題に直面することを発端に、人生を変えてしまうような大きなできごとから、日常のほんの些細なことまで、人は何を想い、考え、立ち止まり、そしてまた前に進もうとするのか。自分たちの物語として、誰しもの心に強く響く、特別な作品」とある。とても綺麗にまとまった文章だ。
でも実際にLUNGSを観て私が思うのは、これはもっと“ぐちゃぐちゃ”だということ。内包している社会問題の数はハンパないし、描かれる感情は一筋縄では説明できないし、一貫した想いもあれば変化する気持ちもあるし。だから私はこの舞台を「現実すぎる」と表現したい。だって現実の人生はぐちゃぐちゃだから。これを単純にフィクションとして見られる人がもしいるなら、私はその人を心底羨ましく思う。

愛する人がいることは幸福だけど、一緒に生きていくためには日々の試練を受け入れなくちゃいけない。思い通りにいかないことは多いし、考えなきゃいけないことは山ほどある。パートナーが隣にいても孤独を感じるし、生きる意味を見失うこともあるし、大きな問題ほど解決しない。なのに、それでも、私たちは生きていくしかない。暮らしは続いていく。

作品から感じたことを書けば書くほど、自分の人生の話になっていってしまう。LUNGSってそういう舞台なんです。正直めっちゃしんどいけど、それでも向き合いたくなる。そういうパワーに満ちてる舞台なんです。

Mが彼でWが私で

私とてらちゃん(私のパートナー)は「子供を持つべきかという問題」についての想い、その1点だけが食い違っているせいで婚約を白紙に戻した状態で、和やかに暮らしてはいるものの、今もそこそこの苦境の中にいる。LUNGSの情報が解禁された時点で、自分の境遇とこの作品に通じるものがあることは当然分かっていたし、だからビビってたし覚悟してた。ところがMW(私は彼らのことを”エムダブ”と呼んでる)はその予想をはるかに上回るくらい私たちで、特に前半は共通点がありすぎて背筋がつめたくなった。そして後半に進むにつれて自分たちの未来を見ているような気になって泣けてきた。

感情移入しすぎてるのかもしれないけどあまりに通じるものがあったので、ブリーゼのベンチで吐き出すように書いたメモとKindleで買ったオリジナルの戯曲を見返しながら、他人事とは思えなかった台詞や関係性を書き出しておく。

  • 言葉がドバドバ吹き出して止まらなくなるWの、感情が乗れば乗るほどストッパーが効かなくなる感じ。それを必死に受け取ろうとするM、という構図。絶妙なラインで保たれてるバランス。
    Wと自分が重なって見えて、これはちょっと気をつけたほうがいいなと思った。言いすぎ注意、詰めすぎ注意、ヒステリーはほどほどに…って抑えたいけどコントロールできないんだよねわかる)
  • 議論?話し合い?言葉がぶつかったとき、「どうぞ」と譲ってくれるM。優しい。
    (身に覚えあり。いつもてらちゃんが譲ってくれる。優しい)
  • Wはとにかく喋りながら考える。適切な言葉が見つからなくても、その周辺にあるキーワードをどんどん口に出して、自分が求めてる結論の手掛かりにしていく感じ。Mもロジカルに喋ろうとするときに同じような語り方になるのが、の癖がうつってる感じがして、同棲カップルらしさが出てる。なんか好い。
  • Wの台詞「私はバカじゃないから」「私は慎重な人間」「何かをするには正しい理由が必要」
    (これマジで私も言うし、そう思ってる。この文脈に続けて「子供を持つことに慎重になるのは当然だよね」って話したこともある)
  • 考えれば考えるほど迷宮入りしていくW。小さな問題がどんどん大きく膨らんでパニックになる、もしくは絶望的な気持ちになる感じ。
  • 養子についての考え方。
    (たぶんてらちゃんはMと一緒で、子供は欲しいけど養子をもらうのはちょっと違うと思ってる。前に話し合った気がする)
  • Wの台詞「子供を通してしか生きられないような母親になりたくない。自分で何かをしていたい」
    (まったく同感。そしてそれはすごく難しいことのような気がする)
  • 声が聞こえないほど爆音のクラブが楽しいW。自然に囲まれた動物園を楽しめるM
    (こんなところまで似てて笑っちゃう。私はクラブ派、てらちゃんは動物園派)
  • Mの優しさというか、Wを気遣うときにやってくれること。朝ごはんを作ってくれたり、あったかいお風呂を入れてくれたり、甘いものを買ってきてくれたり。「ベッドで眠ろう」「お茶淹れたよ」とか。愛しい。
    (私が弱ってるとき、てらちゃんもよく同じような方法で気遣ってくれる。感謝しなきゃね)
  • Wリツイートした論文や、彼女が持ってる本を読んでるM
    (てらちゃんも積極的に読んでくれる。犬山紙子さんとか信田さよ子先生の本とか。日常連絡用とは別に、web記事をシェアするためのLINEグループも作ってる)
  • Wの「もっと寄付とかできたらいいのに、貢献できたらいいのに」っていう想い。でも実際に自分にできることには限りがあるし、それをもどかしく思ってる。
    (私もそうで、自分の無力感に泣きたくなる。実際にやってるのは、Change.orgでオンライン署名することくらい)

完全に理解することはできないから

共通点をたくさん見つけて感情移入するのと同時に、Mに対してモヤモヤしてる自分を無視できなくなる。それはたぶん、てらちゃんに抱いてる感情と地続きだろう。「子供がほしい」という意思をパートナーに伝えてる彼らは、それがどういうことなのか、やっぱり本質的には理解していないと私は思う。子供を作ること。産むこと。育てること。それが自分とパートナーの人生に(そしてその子供の人生に)どんな影響を与えるのか、考えているんだろうか。

Wの台詞に「私たちは完全に理解できるようには作られてない」っていうのがある。例えば彼女が「これは私の身体におこることなの」って主張しても、Mは「どういう意味?」って聞いちゃうくらい分かってない。Wが「すごく怖い」って言ってるのに、Mは困ったようにちょっと笑いながら
「それは…残念」って返してくる。私はここで腹が立って、「彼女の立場になって考えろや!!!」と心の中でパチキレちゃうのだが、皆さんはいかがですか。

Mに悪気があるわけじゃないし、男性が自発的に積極的に想像することがないのは当たり前なんだろう。想像したことなんてなくて当然。それはそうでしょう。そこにキレてもしょうがないし不毛だ。パートナーに指摘されて、気付いて、教わって、学んでいくことは重要だし、そういう意欲のあるMやてらちゃんは素晴らしいし”良い人間”だと思う。でも、それでもやっぱり、不安の総量に男女差がありすぎることにモヤモヤを抑えることはできなくて。心が狭いのかな、それとも気にしすぎ?

なんで不安な気持ちが分からないんだ!気付けないのはおかしい!想像しようとするべきなのに!って心の声が溢れそうになるとき、ふと立ち止まって考えてみる。私はどうだろう。彼の心の声に気付けているだろうか。想像しようとしているだろうか。たぶん、できていない。そうだ、私だってできていないんだ。じゃあ私のすべきことは…?

中盤、Mのモノローグ。「僕が理解していないことは何だろう?」って考えて、悩んでる。私が(そしてたぶんWも)何よりも求めてるのはそれだ。そして私たちがすべきことはそれだ。完全に理解することなんてできなくても、理解しようとすること。いやむしろ、理解することができないからこそ、理解しようとしなきゃいけない。たったいまこの瞬間から、手遅れになる前に始めなきゃ。

彼らの選択をどう捉えるか

LUNGSではふたりの人生が最期まで描かれる。Mの一生も、Wの一生も、もちろん幸せだっただろう。そこには最期まで、たしかに愛がある。ハッピーエンドとして暖かい気持ちで拍手を贈ることができる。でも劇場を出てふと外のつめたい空気に触れたとき、その生き方が望んだものだったかどうか、わからなくなって私は宙を見つめてしまう。

「完璧な状況じゃないけどやってみようよ」と言うMは正しい。「完璧な状況を待っていたら何もできない」。正しい。私もそう思う。でも完璧な状況が訪れないからって、完璧な状況を諦めて物事をすすめてもいいのだろうか。ゴミゴミした狭い世界、安全じゃない世界に子供を産み落としてもいいのだろうか。あれだけ抱えてた不安、考えてた問題を隅に置いて、物事をすすめてもいいのだろうか。地球はめちゃめちゃ、夏は灼熱のように暑くて冬は凍るくらい寒い。格差。搾取。現代より酷くなっていく問題が山ほどある。そこで生きていかなきゃならないのは、他でもない彼らの大切な子供だ。いいの?それでいいの?私にはまだわからない。

神山くんについて

神山担としての自我を保つためにも、オタク的な視点で神山くんの仕事ぶりについても書き残しておかなければならない。しかしこれが結構大変なことで、「○○が可愛かった、○○の言い回しが良かった、アドリブ部分は~~」と逐一レポしたい気持ちもなくはないのだけど、LUNGSにおいてはそれがとっても難しい。もちろん脚本のパワーというかその現実さに打ちのめされてしまうからなんだけど、そうやって作品の芯を直視できるのは神山くんが100分間本当に”M”としてそこにいるからで、つまりは神山くん(と奥村さん)の芝居が芝居のそれを越えている瞬間がたくさんあるからだ。

よくよく振り返って思い出してみると、その演じっぷりに鳥肌が立つ。そして例えば、ライブなどではできる限り一挙一動を見逃すまいとしている自分が、LUNGSに於いてはよくよく振り返ってみないと神山くんがどうだったかを言語化できないっていうことにもまたゾワゾワする。

大阪ではご縁に恵まれたのと一般のチケット取りを頑張ったおかげで、特に神山くんの芝居に注目する機会をつくることもできた。こっちのメモもまた膨大だけど、記憶が生活の混沌に薄められる前に書き出しておく。

”らしさ”の殻を破って

推しとか贔屓がいる人には分かると思うけど、ファン歴が長くなるほど演じ方の癖みたいなものに気付きがちで、例えば声の出し方、抑揚、仕草、立ち方などに「お馴染みのやつ!」ってピンとくる瞬間が多くなる。神山くんにも当然あって、それは劇団☆新感線シェイクスピアと、濃いめの味付けが美味しい作品と関わってきたからこそ培われた勲章でもあると思う(正ロク夏はちょっと違うけど、テレビ的な濃い味ではあった)。ところがLUNGSではそういった、オタクとして見慣れているような”神山くんらしい”表現とはちょっと違うアプローチの芝居をしているように見える。これはもちろん谷さんの演出によるものなんだろうけど、それをやり遂げている神山くんの凄さに、私は心の底から感激してる。

そんなことに気付いたのが初日の終演後で、劇中でまったく感じさせなかったその自然さにもまたびっくりしたりして、神山智洋という人は本当に無限の可能性をもってるんだなぁと誇らしくて。

それでもMを愛せるのは

前述の通り、Mに対してモヤモヤしたりイラッとするのを抑えられない私だけど、それでも彼を“良い人間”だと確信できるのは、神山くんが持ってる優しい何かのおかげだと思う。ちょっと頼りないけど思いやりがあって、間違ってるけど正しくて、Wのことが好きで愛してて大切にしてるんだってことがちゃんと分かる。完璧な人間じゃないし極端なキャラでもないけど、だからこそリアル。この世界のどこかに確かにいる、名もなき男。うん、愛せる。

怒り・イライラの声色

これはもう単純に神山くんの声質が良いからなのかもしれないけど、怒ったりイラついたりしたときの声色がとんでもなく良い。もちろん「ゾクゾクする」とか「イイ声」とかそういう方向で褒めたい良さでもあるんだけど、その一歩先にある「怖い」とか「腹立つ」とかそういう感情にさせられる良さ。

以下、特に耳に残ってる台詞。

  • 私に憎しみをぶつけてるみたい、と言われたときの「君に憎しみなんてないよ!」
  • イラつきを抑えながらの「ちょっと歩いてくる」
    待って、ごめん…って言いたくなる。実際に言われたら「ほんとごめんごめんなさいだから出て行かないで…泣」くらい必死に引き止めちゃうね。
  • あなたはそのいやらしい目つき、と言われたときの「目つきはどうしようもないでしょ」
    イライラと虚無感のバランス。たしかにどうしようもないけど、女としてはそれが悲しくて惨めな気持ちになることもあるんだよ…いつもじゃないけど…ハァ…
  • 「勘弁してよ」
  • 「クソ女クソ女クソ女クソ女!!!!」
  • 私たちのこと考えるいい機会だと思う、って言われたときの「いい機会?」
    眉をひそめた表情も悲しい。思い出すだけで悲しい。Wの気持ちになってしまって悲しい。

あまりにつらくて

泣き崩れるシーンがあまりにも、あまりにもつらくて悲しくて、しんどくて。絶望の箱に籠ってしまったWに「ちょっとでいいから教えてほしい、ヒントがほしいんだ、ちょっとでいいから…」って泣きながら訴えるところが本当に胸がつまる。つらい。

でもWの気持ちになると「そういうことじゃないんだよ…」って思うし、自分で考えて分かってほしいって思うし、私の辛さを言葉にさせようとしないでって思うし、つまり本当にだめ。あのシーンを思い出すだけでだめ。

その他メモ書き供養

  • 本編前の、客席の緊張感をほぐす神山くんがめちゃくちゃ”神山くん”なので安心する。「ボケたくなっちゃうねんな」とか言って関西弁だし(当たり前)。ところがこれを終演後に思い返すと、”神山くん”と”M”の間に明らかに境界線があることに気付かされるので、完璧に演じ切った神山くんに畏怖の念を抱くことになる。完全無欠のパッケージ。
  • 話すときの手振りが公演を重ねるごとに自然になってる感じがする。手が…というか指先までのラインが美しすぎるので思わず見てしまう。ずるい。
  • 大阪公演の後半戦からペット飼い始めました?ジンを飲みながら、傍らにいる何か小さなものをモサモサ触るM
  • すっぽり納まるような完璧で自然なハグ。Wの肩にぽすっと顎をのせる。彼女の髪を何気なく触ってみる。一連の動作が彼氏然としていて超イイ。愛しくて優しいカップル。
  • 子作りとかセックスとか、そういう話をはぐらかそうとするWを一発で引き寄せちゃう、低めで静かな「どういうこと」。Wの腰に手をまわす、逃げられなくなる所作。「危険?」。彼女の脚を一瞬持ち上げる動作。細かいディティール。リアリティ。OMG
  • 車中激論。「みんなを殺してないでしょ!みんなを殺してないでしょ!!」ってところ。2回目の言い方、声を抑えながらの言い方が超上手い。会話劇らしさ。
  • 仕事から帰ってきたM。朝はイライラしまくってたのに突然甘えられたときの「なんで!?」。ジェットコースター並みに浮き沈みが激しいWに毎回驚かされてる感じだけど、優しさも滲んでいて大変よい。
  • 「これもホルモンのせい?それとも今はただ感じ悪いだけ??」ぴえん感。
  • Wにおしりをパチンと叩かれるところ、自分のおしりの可愛さを分かってる感じがして可愛い。知らんけど。
  • ちょっと笑えるシーンで神山くんのクソデカ声(すき)が聞けて嬉しい、そしておもろい。
  • Wが妊娠検査薬を使うとき「僕は全部見ていたい!だってぜんぶ!!!!!!」(クソデカ声)
  • Wのお腹の中で赤ちゃんが動いたときの歓喜、公演ごとにわりと自由。
    「蹴った!!蹴った!!プrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrッフォーーーィ!!!!」(クソデカ声)
    「蹴った!!蹴った!!イィィィィィィヨッシャァァァーーーーー!!!!」(クソデカ声)
  • Wが改装した子供部屋を見て「緑!?」 
    VBBとオセローに続いて今作も「緑」って台詞があって何となく運命めいたものを感じる。
  • 「チリチョコレート買ってきた♪」がやたらキュートに聴こえる。これは神山くんあるあるの、「て」から「き」への発音にちょっと拙さが出るからか。

奥村さんについて

(泣きながら書いたせいで支離滅裂だったので後日追記する。とにかく奥村さんの芝居のことについて語ると涙が止まらんくなっちゃうんだよ…)

そしてグローブ座へ

劇場に行くことができないお友達やフォロワーさんから「レポ楽しみにしてます」との言葉を頂いたこともあり、なんとか東京公演が始まるまでに1本アップしておきたかった。結果レポでも何でもない謎記事になっちゃったけど…まぁよいよい。LUNGSがどんな舞台なのか、その凄さをちょっとでも伝えることができればいいな。そして私を含めたLUNGS済みの神山担がこの素晴らしい作品を後々思い返して、何度も味わうための手掛かりになったらいいな(っていうか、配信してくれませんかね…グローブ座の制作部の皆様…)。

ところで幸福なことに、てらちゃんが有休をとってくれたので近々に一緒に観に行けることになった。大阪初日が終わった時点で、絶対に彼にも観てほしいと思ってたので超嬉しい。彼がどう思うのか、何を感じるのかとても楽しみ。できれば、観劇後に感想を聞いてここに載せたいと思ってる(まだ許可とってないけど)。

ああもう数時間後には東京公演が始まる。緊張で吐きそう。でも今日を迎えられてよかった。いざグローブ座へ。新大久保で会いましょう。大千秋楽の後にもまた何か書きたいけど、どうかな、書けるかなー。